【平成16年9月23日〜平成16年9月27日】

9月23日、秋分の日に、3箇所から6人が、遊びに来てくれました。
今回は全員、今年一度来てくれた、リピーターの皆でした。
東京組と仙台組は、1ヶ月程前から来るのは、決まってたんですが、急遽、プロレス好きの I ポンが、またまた、前日に「参戦致します」との、メールを送って来て、6人での来島となりました。
まず最初に到着したのは、こっそりと休暇届けを、社長の机の上に置いて来て、休みの許可は、まだ、もらっていないと言う I ポンが、AM10:45に到着しました。
次に到着する、仙台便のNッツ達が来るまでには、4時間以上あったので、取り敢えず、ランチを食べに、大きなガジュマルの木の上に有る、レストランへと向かいました。
食後一旦、うちに荷物を置きに帰ったら、I ポンが、「まだ、時間があるので、ちょっとパチスロを打ちに行って来まーす」と言って、スタスタと、出かけてしまいました。
それからしばらくして、仙台便の到着時刻が近づいて来た為、 I ポンに電話すると、「丁度、今、出始めたケーン、行って下さい」と、広島弁で言うので、仕方なく、パチンコ屋にそのまま置いて、Nッツ達を迎えに行きました。
空港で、Nッツ達に会い、 I ポンの話をすると、大笑いしてました。
当日の予定は、翌日の渡嘉敷島でやる、花火を買いに、スーパーへ行く事にしていた為、Nッツ達を載せて、パチンコ屋へ I ポンを迎えに行きました。
やっぱり負けたそうで、1万5千円やられたそうです。
(前回来た時は、2万円負けたそうです)
もう、花火の時期も終わりに近づき、あまり店頭に置いて無かったんですが、大きめのスーパーを2件探して、何とか手に入れた後は、ホテルと、うちの家とに別れて、待機していました。
最後の東京組が、PM5:50に空港に到着し、PM7:30に、国際通りのサムズステーキに夕食をとる為、全員集合しました。
サムズステーキを選んだのには、理由があって、東京組は、インターネットでツアー予約を取ったらしいのですが、パソコンの調子が悪く、オーバーブッキングになってしまい、かなりの安宿と、遅い飛行機しか、ツアー会社が用意出来なかった為、東京組3人分の、サムズステーキ無料券をもらったと言う事を聞き、店を決定しました。
「久しぶり!久しぶり!」との挨拶が飛び交い、結構な盛り上がりをして、2件目へと繰り出しました。
2件目は、「うたあしび歌楽座」で、ライブを見て盛り上がり夜は、更けて行きました。
翌日24日、今回のメインである、渡嘉敷島へ渡る為、とまりん埠頭にAM8:30に集合して、出かけました。
高速船で、35分と聞いていた為、大した事は無いだろうと、思っていたんですが、ビックリする程の揺れで、あっと言う間に気分が悪くなってゆきました。
メンバーのうち、4人が気分が悪くなり、上のデッキに登って行ったんですが、全然戻って来ないので、ちょっと気になり、見に行ってみると、かなりの人数の人達が、狭い場所に立って、まるで、ムーミン谷に住む「ニョロニョロ」のように、並んで遠くを見つめていました。
私も、少し気分が悪くなっていたんですが、目の前に、渡嘉敷島が見えて来たので、「そろそろ着くな〜」と、伝えようと思い、後ろに居る、うちのメンバーを見ようとした時に、うちのメンバーの隣に居た子供が、ボタ餅くらいの小ゲロをし、そのお父さんが、手でキャッチするのを見てしまい、思わず貰いゲロをしそうになりました。
やっとの事で、島に到着し、宿の送迎バスに乗って、取り敢えず、今晩の宿泊先の宿まで、送ってもらいました。

今回は、阿波連ビーチ付近の宿に宿泊したので、到着早々に、阿波連ビーチに行って見ました。
沖縄本島でも、結構綺麗なビーチもたくさん有ったんですが、離島は、別格だと言う事を思い知らされました。

ちょっとシュノーケルをやっただけで、あっちこっちに「ニモ」が居て、楽しかった〜!
ビーチ自体は、数メートル沖へ入ると、水深3メートル位の深さになっていて、その深さが、ずーっと続いている感じでした。
あまりに楽しかったので、みんな時間や体力の限界を忘れて、泳ぎまくってました。
ほとんど皆、足ヒレを着けているか、浮いて遊べるマリングッズにつかまったりして、泳いでいたんですが、Nソネだけは、海岸を歩く時の、底厚の靴を履いて、クロールで、ばしゃばしゃと泳ぎまくってました。
「さすが、元水泳のインストラクターだな〜」と、感心していたんですが、実はもう、へとへとだったそうです。
そりゃーそーですよね〜!
水泳のコーチというのは、十年以上も前の話で、今は、ビールの飲み過ぎで、お腹の周りには、小さ目の浮き輪がくっ付いている感じですから!

海に着いてから、 I ポンの話題をしてませんでしたが、自称カッパだと言っていた I ポンが、なかなか海に入らないので、綺麗だから海に入るように進めると、渋渋入り始めたんですが、腰位の浅瀬から、まったく沖に行かず、腰をかがめて水中メガネで、砂浜の中を覗く程度でした。
(本当にカッパなの?頭髪はカッパに近づいてるけどね!)
I ポンには、前々から話していた自論があって、腰より深い所には、サメが居るので、絶対に海には入らないと言っていました。
(おいおい、海しか遊ぶところの無い島なのに、何しに来たんだよ〜!)
「まっ、良いか!こいつは、ほっといて」と思い、あまり泳ぎには、自信の無かった私も、泳ぎ疲れるまで楽しみました。
でも、うちのメンバーって、このビーチに来ている周りの人達と比べて、ちょっと浮いた感じで、うちのメンバーは、みんな仕事を無理して休んで来た為に、この綺麗なビーチで、何故か携帯が順番に鳴り響いてました。
特に I ポンは、海岸でシートに寝そべってはいるんですが、片手に携帯、もう一方の手にはタバコを持って、まるで事務所で仕事をしている状態でした。
そうこうしているうちに、3時頃になり、宿に戻って、シャワーを浴びる事にしました。

さっぱりした後、のんびりと宿のテーブルで、くつろいで居ると、横に空き缶で作られた、缶カラ三線が置いて有ったので、以前から三線には興味があった私は、何となく触って見ました。
でも、今まで楽器という物には、まったく縁が無く、ただ適当にピンコロピンコロと弾いていたら、宿のオジーがやって来て、ちょっと弾いてくれた後、私に「弾いて見ろ」と言うんですが、楽器は、まったくギターも出来ないので、感が判らず「出来ない」と言うと、「こうやって弾いてみな」と、簡単なフレーズを教えてくれました。
「出来てる出来てる」と、オジーに言われたんですが、メロディーになっていないので、実感がわきませんでした。
次に楽譜を出して、「これを弾いて見ろ」と、言われたんですが、とんでもない話で、普通の楽譜でも読めないのに、見た事も無い、漢字で書いて有る楽譜通りに、弾ける訳が無いので、又「出来ない」と、言って断ろうとしました。
ところが、読み方を教えてもらうと、以外と簡単で、「たいていの人は、3泊4日も居れば、最初の曲は、弾けるようになる」と言われ、すっかりはまって、練習していたら、弾けてしまいました。
今、すごくはまってます。
(絶対に三線買う!)
オジーが、一生懸命に手品や三線を弾いてくれてたんですが、夕食の時間になったので、「じゃーねー、オジー」と言い残し、宿が経営しているレストラン、兼居酒屋へ向かいました。
私達は、夕食付きだったので、バイキング形式の夕食を頂き、ビールを飲んで、早々と宿に戻りました。
帰る頃から、雨が降って来たので、宿でくつろいでいたんですが、私達には、いいえ私には、これだけはやっておかないといけない使命があり、空を眺めていると、雨がやんだので、皆を集めて「花火始めるぞー!」と、声をかけ海岸へ向かいました。
そうなんです、今年海で、花火をやるのが、私の夢だったので、居ても経ってもいられなかったんです。
袋一杯に入っている、7千円分の花火をさっそく始めました。
意外と花火って、すぐに消えてしまうので、他のメンバーがやっている花火の火の取り合いになっていました。
打上げタイプの花火をやり始めた頃から、近所の子供達が、わらわらと集まり始め、何時の間にか、勝手に、私達の花火に火をつけたり、点いてる花火に、砂をかけたりと自由奔放に振舞い出しました。
ちょっと、度を超えてきたので、メンバーの中には、キレて「あっちに行け、このくそガキー」と、わめいてるものもいました。
ほぼ、花火が終わりかけた頃に、子供達のお母さんの呼ぶ声が聞こえて、慌てて座敷わらし達は、自宅へと帰って行きました。
でも、この子達のような子は、昔はどこにでも良く居た子供なんですよね〜!
と、後で落ち着くと皆で話をしていました。
又、宿に戻って、近所の酒屋で、大量の酒を買い込み、飲み始めました。
(私達は、かなりうるさかったらしく、他の滞在者の人から「うるさいっ」と、怒られたそうです。まったく知らなかったー!)
翌日は、隣の座間味島へ船で渡り、またシュノーケルを楽しもうと、思っていたんですが、朝、食事をしていると、凄い勢いでどしゃぶりになり、台風が近づき、那覇への帰りの船も出ないかもしれないと言う情報が飛び交って来ました。
慌てて、色々連絡を取った結果、座間味へ行くどころでは無く、那覇へ午前中の便に乗れないと、この島へ足止めになる事になり、みんなの携帯電話をフル稼働させて、何とか帰りの便を確保しました。

宿から港まで、送迎のバスが出発するまで、渡嘉敷島を名残惜しむように、皆、それぞれ阿波連ビーチで、短い時間を過ごしました。

バスへ向かう途中に、宿のおじいが、自分の畑から食料を調達しているところを見つけて、皆「じゃー、またね、おじさん」と、声をかけて行きました。
帰りも、高速船だったので、凄い勢いで、船は揺れながら那覇へ到着しました。
でも、雨はどしゃぶりで、タクシー乗り場にも行けず、待合室で震えて居たら、私達のメンバーの一人が、白タクを捕まえて来て、それに乗って、一旦それぞれのホテルへ帰りました。

夕方、雨は止み、国際通りで、皆と待ち合わせをして、民謡居酒屋へ行きました。

たらふく、食べて飲んだ後に、店に居るお客さん全員で、カチャーシーを踊り盛り上がりました。

この勢いは、うちのメンバーも止まらず、以前に何度か行った事の有る、メキシカン(店の名前を覚えていないので、私達が勝手にこう呼んでるだけなんですけど)のお店へ行く事にしました。
ここは、あまり観光客っぽい人が居なくて、米軍の人達や、ラテン系のダンス好きの人が、たくさん居るような場所なんですが、結構、はまるんですよね〜!
うちのメンバーも、仙台のNッツと東京のMッチが、踊り始めたんですが、永遠に踊り続け、何時終わるとも無く、盛り上がっていました。
後半は、全員輪になって踊りまくりました。
その後、トタン屋根に凄い音をしながら雨が降り始めたので、これはまずいと思い、この日は、解散となりました。

翌朝、最終日、前日から解ってはいたんですが、この日、台風で飛行機が運休する為、朝一番で、皆で空港へ行く事にしていました。
朝、他のメンバーから電話が有り、起きると、8時を過ぎていたので、慌てて空港へ向かいました。
電光掲示板は全便、欠航でした!
取り敢えず、自分達が帰る方面の、キャンセル待ちの券や、臨時便の順番待ちの券をもらう為に並び、全員もらえたところで、一旦、うちに戻る事になりました。
「まあ、しょうがないなから、もう一泊するかー!」とか、「いや、絶対に今日帰らないと行けない」とか、「昨日の夜は、踊ってる場合じゃなかったよねー」とか、話をしながらテレビを観ていたら、午後から、臨時便が飛ぶかもと言う放送が流れ、また、急いで空港へ向かう事になりました。
空港へ着くと、午前中の何倍もの人で、ごったがえしていました。
それぞれ、受付カウンターで、確認したりしながら、かなりの時間が経った頃に、少しづつ臨時便が出る事になり、皆、自分のキャンセル待ちの番号を、呼ばれるかどうかと言う話になってきました。
この戦いは、夕方まで続き、結果、東京便の3人は、当日の臨時便に、ぎりぎりで乗る事が出来、山口の I ポンも、無事臨時便に搭乗出来たんですが、仙台のNッツ達2人は、帰る事が出来なくなってしまいました。
この日、皆と空港で別れ、もう1日延泊となった2人を車に載せて、帰宅しました。
皆が、うちに延泊すると想定し、大量の食料を買い込んでいたので、食べ物には困りませんでした。
でも、帰れなかった2人は、明日も帰りの便に乗れる確約が無い為、夜遅くまで、インターネットで、空席情報をチェックしていました。
翌朝、AM5:45分に家を出発し、またまた臨時便の順番待ち券や、キャンセル待ちの券を受け取り、午前中にうちへ戻って来ました。
その後、インターネットで、福島行きの便をゲットし、昼食を食べて、また空港へ行き、2日目の戦いは続きました。
最終的には、仙台便は、臨時便は出ず、キャンセル待ちも取れなかった為、福島行きに乗り、帰って行きました。
今回は、楽しい事と大変な事の、両局面を経験したツアーとなりました。
皆、ご苦労さん!
これに懲りず、晴れた日の沖縄の海は、とても綺麗なので、また遊びに行こうぜ!
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